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名古屋高等裁判所 昭和23年(上)126号 判決 1948年12月25日

上告人 被告人 米田政次

辯護人 奈賀隆雄 神垣秀六 高見之忠

檢察官 中島大智關與

主文

原判決を破毀して本件を富山地方裁判所に差戻す

理由

辯護人奈賀隆雄上告趣意書第一點、原審判決は判決に示すべき判斷を遺脱した違法がある。本辯護人は原審に於て被告人は犯行當時心神耗弱の状態に在つたことを主張したが原審はその判決に於てその判斷を逸脱した違法がある。即ち被告人の行爲は常識で判斷して納得の出來ないところがある。その理由は(一)自分の下宿してゐる恩人の大畑新作方の自轉車を無斷で持ち出して賣り飛ばしてゐること(二)而もそれを勤務先の刑務所で賣つてゐること(三)更に買主が古物商であつて刑務所で白晝公々然と買つた以上安心して堂々と店頭で賣却するであらう。そうすれば即時犯罪が發覺すると言ふことは普通の常識ある人間なれば即座に判ることである。それを敢えてしたところを觀ると被告人は本件犯行當時判斷力を失つてゐた證據であつた。即ち原審公判調書八三丁「問、被告人は本年三月二十日頃此の富山市櫻町七百八十番地の大畑新作方玄關に於て大畑秀吉所有の自轉車一台を盗んで來たか 答、その日私は役所で部長試験があり、以前から毎日徹夜で勉強してゐたところその晩疲れが出てよく眠つてゐたところ目を覺して時計を見たところ時間がなく切迫してゐたので間に合はないのでモナミ方の玄關にあつた自轉車に乘つて行つたのであります」と記載のある通り被告人は看守部長の試験勉強の爲毎日徹夜して夜の明る迄勉強して全然就寝せず且夜勤迄してゐた上その犯行當日は午前四時頃迄試驗勉強をして暫く寝て目醒めた時は午前五時四十分位にして約一時間半位しか睡眠をとつてゐなかつたので睡眠不足の爲犯行當時は強度の試驗勉強の爲神經衰弱に罹つて判斷力を喪つてゐたものであり之を法律的に言へば心神耗弱中の行爲であるから減輕せられ度い旨主張したものにして、斯く主張したことは相辯護人高見之忠及び被告人は勿論全傍聽人もひとしく認めるところであつて此の點は原審第二回公判調書中に「奈賀辯護人は本件犯罪の動機及原因云々を上申し、被告人は當時連日の試驗勉強の爲神經衰弱に罹り居りたるものにして、現在深く改悛し居るを以て諸般の事情を斟酌の上刑の執行猶豫の判決を賜り度いと辯論した」と記載してあるのを見ても明瞭であつて其の記載不充分であるとは言へ本辯護人が心神耗弱の主張を爲した事實のあつたことの片鱗を示してゐる記載振りによつてもよく窺がへるところであつて神經衰弱なる言葉は精神病理學上の用語であるが之を法律的に言へばとりも直さず心神耗弱であることを主張したものである。醫學上も神經衰弱には精神作用の障害の存することを認めて腦の神經活動が病的に故障を生じ其の程度が昂進すると甚だしきは幻想幻惑に陷り遂に心神喪失の程度に迄達することを認めてゐるのであつて、まことに被告人は平素は眞面目に看守をして精勵を抜きんじてゐて向上心があつて看守部長に昇進する樣努力してゐたので自轉車を盗まねばならぬ動機も極めて薄弱であるところを觀ても實に被告人は前述の通り少くとも心神耗弱の状態にあつたものであり從つて原裁判所は本辯護人の主張に對し判決中に判斷を示さねばならぬと思料する。殊に此の心神耗弱の場合は刑法第三十九條第二項に依つて必ず其の刑を減輕せねばならぬのであつて、而も刑事訴訟法第三百六十條第二項には法律上特定の事實あれば必ず刑の減免を爲さねばならぬ場合にその事實の主張があれば之に對し判斷を示すべきことを命じてゐるものにして原判決は刑事訴訟法第四百十條第二十號に該當するものであるから須く原判決を破毀し本件を原裁判所に差戻されるものと信ずる。と謂い

辯護人神垣秀六の上告趣意書の要旨は、原審第二回公判調書に依れば「辯護人奈賀隆雄は本件犯罪の動機及び原因、經歴、家庭の状況について有利なる點を上申し、被告人は當時連日の試驗勉強の爲め神經衰弱に罹つていたもので現在深く改悛し居るを以て諸般の事情を斟酌の上刑の執行猶豫の判決を賜りたいと辯論した」旨の記載があつて昭和二十三年三月二十日(本件犯行當日)富山刑務所に於て看守部長の採用試驗が行われ被告人が其の試驗を受けたこと及び被告人が其の試驗の前から毎日徹夜で勉強し疲勞して居たことは原審第一回公判調書の記載により明かである。尚又被告人が其の頃神經衰弱症に罹り醫師の治療を受けていたことは當辯護人が曩に提出した診斷書に依り之を認むることができる。敍上のような次第であるから奈賀辯護人は原審第二回公判に於て被告人が神經衰弱症に罹つていて法律に所謂心神耗弱の状況にあつたことを主張したのである。而して心神耗弱者の行爲は刑法第三十九條第二項に依り法律上其の刑を減輕せらるべきもので、かかる主張があつたときは刑事訴訟法第三百六十條に依り判決に於て之が判斷をしなければならぬものである。然るに原判決が右辯護人の主張に付何等の判斷を爲さなかつたことは判決文の記載自體によつて明かである。もつとも右公判調書にに神經衰弱症を主張した旨の記載があつて心神耗弱の文句が記載してないが前後の事情から推察すれば心神耗弱を主張したものと解し得るから之に對する判斷を示すのが裁判常識である。然るに原判決は漫然之を看過し判斷遺脱の判決を爲したもので、この點に於て破毀を免れない。と謂い

辯護人高見之忠の上告趣意書二の要旨は、本辯護人は原審公判に於て被告人は犯行當時神經衰弱に罹り心神耗弱の状況にあつた旨主張したが、原判決はこの點に付何等の判斷を示さなかつたから刑事訴訟法第三百六十條第二項の判斷を遺脱した違法がある。と謂うにある。

よつて案ずるに、被告人が犯行當時心神耗弱の状況にあつた旨の主張があつた場合には刑事訴訟法第三百六十條第二項に依り判決に於て右主張に對する判斷を示さねばならないことは一點の疑いもないところである。而して原審第二回公判調書の記載を見るに「奈賀辯護人は(中略)被告人は當時連日の試驗勉強の爲め神經衰弱に罹り居りたるものにして現在深く改悛し居るを以て、諸般の事情を斟酌して刑の執行猶豫の判決を賜りたいと辯論した」「高見辯護人は右と同趣旨の辯論をした」とありて、神經衰弱症の強弱の程度によつては刑法第三十九條第二項に所謂心神耗弱の状況にあつたものと認め得ることもあるので、兩辯護人が果して心神耗弱の主張を爲したか否か俄に判斷し難くこの點に於て右調書の記載は前後の記載を綜合しても極めてあいまいなものと謂うことができる。かかる記載から見ると辯護人が期するところありて心神耗弱に付主張したか否か不明瞭な辯論をしたのか、或は明瞭に主張したが其の記載が不用意の爲めあいまいとなつたか何れか二者の中一つであるが、公判期日に於ける訴訟手續は公判調書にのみ依つて認めねばならないから(刑訴第六十四條)右兩辯護人の主張は心神耗弱を主張したか否わ極めてあいまいであつたものと認むるの外はない。かかる場合原審としてはよろしく辯護人に對し心神耗弱を主張するか否かに付釋明した後若し之が主張を爲す趣旨であるときは判決に於て之が判斷を示さねばならないもので、之を漫然看過した原審は審理不盡で其の判決は判斷を遺脱し居りて事實の確定に影響を及ぼすべき法令の違反があるものと謂わねばならない。從つてこの點に關する右各辯護人の論旨は理由があるから爾余の論旨に對する判斷を省略し刑事訴訟法第四百四十八條ノ二に基き原判決を破毀して本件を富山地方裁判所に差戻す。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 世古件逸郎 判事 鈴木正路 判事 赤間鎭雄)

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